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時間の効率的活用法 その2

前回の記事で今を生きていくうえで絶望的に時間が足りないといった内容を書いたが、私も人並みに時間を作る工夫はしているつもりである。

しかし、私に限らず一般的に、その努力が功を奏する事はほぼない。

私が考えつく方法を三つ挙げてみるが、私の経験ではどれも失敗する。


①単純にスピードを上げる
この方法にはかなり厳しい限界がある。
まず、スピードアップをすると根本的に「何をしているか」という点に違いが生じる事がある。

たとえば散歩を単純にスピードアップすると、その人がしている事は「散歩」ではなく、
「急ぎ足」「競歩」「ランニング」になってしまうと考えられる。

これは「散歩をスピードアップした」というよりは「散歩をやめてランニングを始めた」と言うべきである。

似た例を挙げると、「ゆっくり歩く」ことをスピードアップすることは不可能である。

なぜならスピードアップすると「ゆっくり」ではなくなってしまうからである。

ここで「走る事はいくらでもスピードアップできるのではないか」という反論をする人もいるかもしれないが、どこまでもスピードアップしていくと最終的に光速に接近し、アインシュタインの相対性原理により、走っている人にとっての時間の流れ方が遅くなり、結果として速度を上げた事にはならないのだ。

※相対性原理の概念については理解がガバガバなので見逃して欲しい。

この例を除いても、単純にスピードアップするだけで時間を節約することはかなり難しい。

強いて言えば仕事に関してはスピードアップする余地があると考えられるが、仕事をスピードアップしても「お前もやれば出来るじゃないか」と言われて仕事の量を増やされるだけである。


②複数の事を同時に行う
これに関しても①程ではないが限度がある。

例えば音楽を聴きながら本を読むぐらいなら可能かもしれないが、沖縄民謡を歌いながらオペラを歌ったり、墓参りをしながら重機を操縦する、といったことはほぼ不可能である。

目を閉じるというきわめて簡単な行為でも、それと同時に出来ることは非常に少ない。

眠りながらできることに至っては、夢を見る、いびきをかく、歯ぎしりをするぐらいしかない。

眠りながら勉強が出来たらこれ以上無いぐらいありがたいところだが、そんなことは不可能である。

それにしても勉強中に居眠りは出来るのに睡眠中に勉強を出来ないのは不思議である。

その他、
・くしゃみをしながら深呼吸する
・あくびをしながら半濁音を発音する
・ビリヤードをしながらフルマラソンを完走する
・風呂に入りながら体育祭に参加する
・在学しながら体育祭に参加する

等、同時にできない組み合わせは無数にあり、複数の事を同時にこなす方法の限界は明らかである。


③身辺整理をする
必要な物を探す時間を短縮する試みもかなりの確率で失敗する(体験談)。

人間は誰しもが物を探している時間は非常に無駄だと認識している。(大抵は同じ様に無駄な事を他にもたくさんしているのだが。)

しかし、物を探す時間をどうにかしようと考えた結果、どうにもならない状態に陥るケースは多い。

私は少しでも物を探す時間を短縮しようと部屋にある物を全て細かく分類して置き場所を決めた事がある。

しかし、分類してしばらく経つと、所定の場所に置くことが面倒になり、結果としてかなり少ない日数しか経過していないにも関わらず元の状態と大差ない程度まで戻ってしまうことが分かった。(数回試みて全て失敗に終わった。)


このように、時間を節約することは不可能に思えるが、たとえ節約に成功したとしてもそのほとんどが全体から見れば微々たる量にすぎない。

ここで原点に戻って胸に手を当てて考えてみると、心臓の動悸を感じられるはずである。(感じられない人はそもそも時間の事を気にする必要が無いだろう。)

ここでそもそも「時間を節約する」「時間の効率的利用を図る」という方向が間違っているのではないだろうか。

それらの考え方はある意味合理的ではあるが、時間を効率よく管理して、決められた時間の中に出来るだけ多くを詰め込もうとする態度なのであって、それこそがゆとりを奪っているものに違いないのだ。

ゆとりを求めるためにゆとりを失う不要不急の時代において、現代人は意味も無く慌てて暮らし、無理矢理予定を作って時間を埋めているようにも見て取れるのである。

時間の使い方が効率的であるか無駄であるか、といった観点を超越してしまえばもっとゆとりのある人生になるのではないか。

生きている時間を効率化しようとするのは音楽を聴いている時間を効率化するために、音楽の流れる早さを5倍にするのと同じ様に意味が無い。

効率という観点を離れてしまえばゆとりが生まれるだけでなく、効率化を重ねた挙句に「自分の生きている時間そのものが無駄なのかもしれない」という恐ろしい疑念も抱かなくてすむ。

ここまで考えたところ、ゆとりを持って何をするか、実際はこれが1番の問題である事に気づいた。

普段から自分が怠惰な行動をとる度に「こんな事で一生を終えてたまるか」と思う。

しかしそう思いながらも他にいい代案がないまま、私はゆとりをもって時間に追われる生活を送っているのである。