日常

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f*ck岡高校 行事の記憶

昨日、私はインフルエンザの発症により予餞会に参加することを断念した。

これを機に、今年の私が行事に際してどれほど不運だったかをそこはかとなく書いていこうと思う。



行事その1 「文化祭」

概要:三大行事の1つで、我々文化部が主役の非常に素晴らしい行事である。


文化祭に関しては非常に楽しみにしていたが、現実は厳しかった。

まず、部活を2つとバンドを掛け持ちしていて非常に忙しかったのに「文化部である」という理由から実質帰宅部同然の扱いを受け、休日も出勤、作業を強いられる。

クイズの例会を途中で抜けてクラス参加の作業を手伝うこともあった。
(というか撮影の小道具、装飾に関しては私と友人の2人で半分以上終わらせることになった。)

部活に関して、一方は絶望的な客の入り、もう一方はガチ勢が多数集まったことにより、どちらもすごい状況に。(語彙力)

バンドに関しては観覧希望者が尽く公欠の運動部であったことから、客の入りが少なくなることが危ぶまれたが、なんとかなった。(なおボーカルは前日の呼び込みで喉が枯れていた。)

全体を通してとても楽しかったが、同時にこれまでにない程に忙しかった。



行事その2 「体育祭」

概要:三大行事の1つ。 進学校を自称しながら体育教師の権威が強いことを物語っている規模である。
教師は「文化祭を5月に行うのは受験の邪魔をしないため」と言っているが、体育祭はその何倍もの労力、時間を割いて9月に行われる。


単刀直入に言うと、私は体育祭が苦手である。

その中でも組体操は特に苦手だ。その理由として、前時代的で明確な目標が無いのは言うまでもない。

それに加えて唯一の取り柄である身長が裏目に出て、確実に怪我のリスクが高い土台にされることが最も大きな理由である。

(体育祭への不満を書くと文章量が3倍以上になるので割愛する。)

そして、練習に何十時間をかけた体育祭は当日の雨天で実質中止に。(次の日は皮肉にも快晴だった。)

因みに私の所属したブロックは2年連続で無冠である。

行事その3 「修学旅行」

班決めのときに何も考えずに他クラスであるぽけなおと班を組んだことが良くも悪くも大きな分岐点となる。

ぽけなおのクラスが前半(1組)、私のクラスが後半(8組)だったため、私は実質的に1組の一員として行動をすることになった。そしてホテルはぽけなおと同室になった。

その結果、連日魔剤を大量に買い込んだり、夕飯を軽めに抑えて深夜に蒙古タンメン中卒を食べたり、朝起きてすぐにアイマス楽曲を楽しく踊ったりと大暴れだった。



☆同室になって分かったぽけなおの面白い生態☆
・朝5時から5分おきぐらいで爆音のアラームがなるように設定しているが、私が起こすまで全く起きる気配がない

・トイレ、風呂、歯磨き中等、あらゆる状況で熱唱するor踊る

・寝る時に確実に布団に巻き付く

・UNO等をしていると著しく人格が荒む

詳しくは覚えてないが、少なからずここで出した事は事実と言える。



シンガポールで過ごす過程で1組の方とはある程度仲良くなれたのだが、自分のクラスで過ごす時間が想像より遥かに短かったため、修学旅行でクラスメイトとの溝が深まるという謎の現象が発生。

旅行自体は非常に楽しかったしいい経験だと思ったが、クラスのLINEグループに集合写真が送られる度に発狂していた。

因みに集合写真は1枚しか写れなかった。

そして味付けをチリソース、醤油擬きに頼りきったシンガポールの料理は全く口に合わなかった。

興味本位で友人と購入した世界一甘い缶詰は鈴カステラに大量のシロップを染み込ませたような物で1つ口にするだけで胸焼けがした。



行事その4 「予餞会


インフルになった。

友人から水球部が「ようこそジャパリパークへ」を踊ったと聞いて死んでも行くべきだったと後悔。

あとお世話になった先輩方に声をかけることが出来なかったのが本当に心残りだった。

行ってないからこれ以上の感想はない。

余談だがインフルで学校を休んだ5日間でイルルカのプレイ時間が0→40時間になった。




《総括》
運営の方々が毎回頑張っているからか行事自体は楽しい。(体育祭の時期と予餞会の内輪ノリはなんとかして欲しいが。)



セーラー服おじさんはいい。また来てね。