日常

内容ペラッペラの随想録とか色々

10連休

約3ヶ月ぶりの投稿である。

恐らく読者の66.7%(2人)はこのブログの存在を
忘れていたのではないかと思う。

タイトルは「10連休」だが、この連休の間にした目立った事といえば、大雨の中の買い出しとTwitterぐらいなので今回の記事では基本的に触れない。

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(※尺が余ったので) 時間の効率的活用法について


最近(ここ2日)、睡眠中の時間を活用するために、
睡眠思考法を実行している。

これは、寝る前に哲学や政治の問題について考えておくと、次の日に目が覚めた時には問題が何であったかを完全に忘れているというものである。

ウィトゲンシュタインは「哲学の問題は解決ではなく、解消されなくてはならない。」と述べていて、それらの問題を睡眠中に解消するのがいかに合理的か分かる(解決するかは当人の実力次第である。)

このように私は睡眠中も含めて暇が無い。
様々な行事がある事も相まって、やらなくてはならない事が多すぎるのである(起床、食事、入浴、就寝等)。

このように忙しくなったのは明らかに最近になってからである。

幼児の頃は起床、食事、入浴、就寝程度しかする事が無く、はるかにゆとりがあったように感じる。

しかし、どんなに疲れを取ろうと睡眠を取っても疲労感は溜まる一方である。

それどころか教科書を写す作業と化した倫理の授業ですら居眠りしていたら起こされてしまうのだ。

十分に睡眠が取れないまま起こされて授業の終わりの挨拶をすると、声を出した疲れと睡眠不足でまた居眠りをしてしまうことになる。

これ程に忙しいと、文字通り命を削っているような気分になる。その証拠に私は将来確実に死ぬであろう。

もちろん忙しいのは私だけではない。首相や大臣等は非常に忙しいだろうと思う。

私でさえこれだけ忙しいのだから、首相や大臣の忙しさは尋常でないに違いない。私が現在首相でない理由もここにある。

しかし不思議なことに、私が風邪等で学校を休んでも部活等の業務は停滞する訳でもなく、何事も無かったかのように円滑に運営されている。

考えようによっては私がいない時の方が円滑に運営されている程だ。

これは私が無価値であるからでは無い(私に価値があるからでもない)。

大勢で物を運ぶ際に1人が抜けたとしても何とかなるように、どんな人をとっても「その人がいなくても何とかなる」と言うことが可能なのである。

実際、人が1人もいなくなれば全ての争いは何の問題も無くスムーズに収束へ向かうだろう。

そうなると、私が忙しく働いているのはただ円滑な運営を妨げているのではないか、という疑問に行き着くが、これを口にしてしまうと私の果たす役割について致命的な疑問を世間に引き起こす可能性が高いので誰にも言わないのが賢明であると判断した。

(続きは気が向いたら書く。)